自分から金を奪った少年に「寒いからコートもあげるよ」と呼びかけ、「一緒に晩飯を食べに行こうよ」と提案 ― その結末やいかに?


ある寒い2月の夜、ニューヨーク・ブロンクス区に向かう地下鉄6号線の列車に1時間ばかり揺られたフリオ・ディアズさん(30歳)は、ほとんど人気のないホームに降り立った。これから馴染みの店に行ってディナーを食するつもりだった。だが、階段に向かって歩き始めたフリオさんの前に1人の少年が立ちはだかった。少年はナイフを手にしていた。


こういうとき、恐怖に凍り付くタイプの人もいれば、全身にアドレナリンが駆け巡り勇敢に立ち向かおうとするタイプの人もいる。だが、フリオさんは、そのどちらでもなかった。フリオさんは落ち着き払ったまま、少年の要求に応じた。


ポケットから財布を取り出すと、「はいどうぞ」と少年に手渡す。財布を渡された少年はきびすを返して、さっさと歩いていく。普通なら、この後、警察に被害を訴えるなりすることになるが、財布と中身が返ってくる可能性はかなり低い。


だが、フリオさんはこの後、少年の体に指一本触れることなく、彼の手から財布を取り戻すことになる。それどころか、少年からナイフを取り上げることにも成功してしまう。


フリオさんは、自分に背を向けて歩き始めた少年を呼び止めた。「ちょっと待ちなよ。大事なことを忘れてないかい? 今夜、この後も誰かからお金を奪う予定があるのなら、ほら・・・僕が今着ているこのコートも羽織っていけばいいんじゃないかな。その方が暖かいだろ?」


少年は、フリオさんの言葉に意表を突かれた様子だった。「なんでそこまでしてくれるんだよ?」と少年が反応する。


「だって、君は自分が捕まるかもしれないことを覚悟の上で、たった数ドルを奪おうとしてるんだろ? だとしたら、君は本当にその数ドルのお金を必要としていることになる。僕は今夜、ディナーを食べようとしてこの駅で降りたんだ。・・・ねえ、よかったら一緒に食べに行かないか? ぜひ君と一緒に食べに行きたいな」


ワシントンDCを拠点とする公共ラジオ放送局NPR(National Public Radio)に後日フリオさんが語ったところによると、彼の目にはその少年が本当に助けを必要としているように見えたのだという。だから、フリオさんはレストランに行こうと偽って少年を警察署に連れて行くつもりなんかなかった。本当に少年とディナーを食べたいと思ったのだ。


だが、金を巻き上げた当の相手からこんな優しい言葉をかけられても、にわかには信じられない話ではないか。少年の心がもっとすさんでいたら、決して誘いには乗らなかっただろう。それどころか、自分をだまし討ちにしようとしているのだと決め付けて逆上した可能性さえある。


でも少年の心には、まだ他人を信じる純真さが残っていた。だから少年はフリオさんと並んで歩き始めた。


目的の店に着くと、フリオさんは少年をボックス席へと促した。すると、店の人たちが次々に挨拶にやって来る。店長やウエイターはもちろんのこと、厨房から皿洗いのバイトまで出てきて、フリオさんに挨拶をしたではないか。


「すごい! みんながあんたのことを知ってるんだね。もしかして、あんたはこの店の経営者なの?」と少年が驚いてみせる。


「経営者なわけがないよ。ここの常連なんだ」とフリオさんが返すと、「でも、皿洗いのバイトとだって仲がいいんだよねえ!」と少年。


「そうだよ。君だって、誰とでも仲良くするように教わってきただろ?」


「うん、そう教わってきたよ。でも、本当にこんなふうにみんなが仲良くできるとは思ってなかった」


「君が人生で望んでいるものって何かな?」とフリオさんが尋ねると、少年はふいに悲しそうな顔をした。少年はその問いに答えることができなかった。答えづらかったのかもしれない。


にこやかな店のスタッフに囲まれて、すっかりくつろいだ雰囲気のまま食事が終わった。フリオさんは、テーブルの上に置かれた伝票を少年に見せると、こう言った。


「さて、僕のお金は君が持っている。僕には払えない。となると、君が払わないといけなくなりそうだよね。君が僕に財布を返してくれたら、僕が君に奢(おご)ってあげようと思う。奢らせてくれたら、とても嬉しいんだけどな」


少年は食事の勘定のことなどすっかり忘れていた様子で、あっさりとフリオさんに財布を返してくれた。フリオさんは財布を受け取ると、中から20ドル取り出して、少年の手に握らせた。フリオさんが後日NPRに「実際のところはわからないが・・・」と断りながら語ったところによると、少年が本当に欲しがっている金額は20ドル程度ではないかと思えたからだという。


ただし、フリオさんは少年に20ドルを渡すときに条件を付けた。「これと引き換えに君が持っているものを僕にくれないかな? そう、あのナイフを僕に渡してくれたらいんだけどな」


少年は言われるがままにフリオさんにナイフを渡した。


フリオさんの母親はこの話を聞いて、「あなたは今何時かと尋ねてきた相手に腕時計をあげてしまうようなお人好しだものね」と微笑んだ。


フリオさんはNPRにこう語っている。「誰かに正しく接すれば、相手も自分に正しく接してくれるはず。単純明快なことじゃありませんか。世の中は複雑だけれど」


かくしてフリオさんは、自分をナイフで脅して財布を奪った相手から、実に平和かつ友好的なプロセスを経て財布を取り戻すと同時に、武器さえも放棄させることに成功したのである。とはいえ、フリオさんにそこまでの戦略的な計算があったわけではないだろう。彼の思いやりある行動からはIQではなく、EQ(こころの知能指数)の高さを感じさせられる。


すさんだ心で悪事を働いたはずなのに、思いがけず人の心の温かさに触れることになったその少年は、今頃どうしていることだろう? やはりお金がなくなると、再び通行人を脅しにかかっているのか? いや、きっとそんなことはないだろう。180度の転換のきっかけになるほど、少年の心は動かされたはず。

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